The Graduate

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zoorasia 3。1967年制作の映画The Graduate(日本題「卒業」)では主人公がデートをする場面としてサンフランシスコ動物園が使われている。背景にSimon & GarfunkelのScarborough Fair / Canticleが流れるこの動物園の場面は1968年の日本公開当時高校2年だった受験生に鮮烈な記憶を残した。だから動物園が好きというわけでもないけれど、いいな。Paul Simonはこの時期にAt the Zooという曲も書いていて英語版WikiによればThe Graduateのために書かれたけれど使われなかったのだそう。そのせいか1967年にシングルとして発表されたAt the Zooの舞台はセントラルパーク動物園になっている。

雨の公園

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恒例のポリープ取りのクリニックが吉祥寺から三鷹方面に移動して旧宅[doghouse]の近くに。歩き慣れた散歩道を雨の中とぼとぼ。まだ禁酒を平然と続けていますが今年は酒をうっかり飲んでしまった夢を何度も見ています。

bear necessities

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zoorasia 2。動物園に午前中から行ったのもよかった。ちょうど動物たちの食事の時間。30分ずつ時間をずらしながら次々に餌遣りが始まる。シロクマは鯵、鯖、リンゴ。水中で捕獲したモノを陸に置いて食べる。巨大な手にリンゴをのせて食べるのもかわいい。Jungle BookのBare Necessitiesの語呂合わせはナイス。

雨の彼岸花

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秋の長雨とは言うけれども今年のは常ならずのしつこさだった。それでも彼岸の頃には申し合わせたかのようにあちこちで怪しい朱い花。別名曼珠沙華Lycoris radiataヒガンバナ科ヒガンバナ属。

zoorasia

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雨ときどき止む祝日にzoorasiaへ。多くの人が動物園を敬遠する空模様だったおかげで動物たちの生き生きした姿を堪能することができた。流麗に泳ぐオットセイはからだが水に馴染むように創られていることがよくわかる。楽しそうな動きをより華やかにしているのが湧いては消える細かい水泡。水中目線で注視していると口から出てくる泡とは別にびっしりとからだを覆う詰んだ毛の中からも泡粒が生まれているのがわかる。こげ茶色の毛皮を飾る小さな宝石。オットセイの速い動きに合わせて写真に捉えるのが難しく相当な時間を水窓の前で過ごしました。

garden kitchen

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新宿御苑脇の遊歩道に面した通りには楽しい店がたくさん。そのひとつがキッチンのあるレンタルパーティースペース[garden kitchen]。20人分のテーブル、椅子、食器もそろっていて、手軽にパーティーができる。こういう楽しい場所が増えてくると街の暮らしも豊かになるなあ。新宿御苑サーヴェイの打ち上げはここでやりたかったのだが、学生は全体の反芻以下でなくてはならないとの制限があって断念。ま、結果オーライ。

stopwatch

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スマホのストップウォッチで西新宿の動く歩道を計ってみた。
@動く歩道を歩いたとき:2分06秒
A動く歩道に乗らずに歩いたとき:2分40秒
B動く歩道に乗って歩かなかったとき:6分47秒
@とAは34秒しか違わない。動く歩道上で遅い人を避けたり抜かしたりアクセクするより乗らないほうが精神衛生上いいかも。でも朝の34秒は大きいかなあ。歩かないと4分41秒も余計にかかるということは舗道のスピードがいかに遅いかということ。からだにハンディがあったり重い荷物を持っていたりする人のためのものと考えた方がいいのかな。写真は動く歩道を抜けたところで一列に集う鳩たち。

犬 猫

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丁子草の陰で犬になった彫刻家を想ったりはしないのが猫

友 達

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あやしい路地は内にも外にも他所の国から来た人みたい

街 歩

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知らない街に気づくことの幸せにふと気づくふたり歩き

住 処

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深き緑の陰を抜けた先に在る神様たちの住処

香 菜

160919.jpgオニオンスライスを覆う山盛りパクチー3杯酢には取り敢えずビール

枝 技

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大きな自然と人の技どちらも活きて良し

美 脳

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地のものだけに美を感じるとは限らないわたしたちの脳の不思議

彼 此

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鮮やかな彼の国の花が此の国の蟹の爪

秋 鈴

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鈴薔薇の小さな実たわわに秋の足音を運ぶ

秋 蝉

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ツクツクボウシの美しき亡骸を持ち帰っても歓んではもらえない秋の始まり

アルメニアから

アルメニアから
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アルメニアの音楽がECM経由で届いた。彼の国の5〜20世紀の宗教音楽と新しいピアノの融合した清々しい音が宗教色を超えて耳に心地よい。モノクロの朧げな写真、陰りのあるメロディが、民族の苦難の歴史と豊かな文化に重なるような気がする。

八ッ場ダム

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吾妻線の旅。2年前に訪れた時は新線に切り替わって旧川原湯温泉駅が廃駅になる直前で、いずれは湖底に沈む吾妻渓谷を脳裏に焼き付けようと散策を愛おしんだ。2014年9月2〜6日の[doglog]にアップしています。下り列車は月島駅を過ぎると急に速度を上げる。新線は深いトンネルを抜ける代わりにほとんど直線なのだ。長いトンネルを一気に抜けると新しい川原湯温泉駅。旧駅からは1km以上離れまわりは新しくできたものばかりだから降りる気もしない。そしてまたトンネルを抜けると「やまどり」の終点の長野原草津口駅。こちらも駅舎もまわりも新しく草津に行くバスの乗換駅に徹しているようす。40分の暇にできるだけ歩いてみたけれども吾妻渓谷はカミソリ護岸に仕上げられてしまっていて秋を楽しむ風情もない。いつのことになるのかは情報がないのだが湖が満水になると護岸の上まで水面が来るということなのだ。遠景は美しいし近くもうまく切り取ればいいところなのだけれどなあ。群れ飛ぶ燕が偶然写っていたのだけはラッキー。これからどんどん人口が減っていくというのにこのような新しい水瓶が本当に要るのでしょうか。ちゃんと真面目に将来の日本を考えている人がいるのかなあ。

エッグ

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西宮へ仕事の旅 締め。使い始めてやっと一年のiPhone6は便利だなあ。facebookにアップした夙川の写真の近くに教え子の実家があることが直ぐわかりました。芦屋にOGが出張で来ていることも伝わってきましたが残念ながらニアミスに。現場は阪神芦屋駅前だそうですから私はその直ぐ横を通って梅田へ。旅の締めに決めていたガード下「新梅田食道街」には5時前に着いてしまったので「たこ梅」のおでんで一杯やってから立ち飲み屋「北京」へ。カウンターに置いたキャッシュがデリバリーごとに減っていく飲み過ぎにくい粋な店。かなり狭い空間はほぼ常連で埋め尽くされ、酒を介した人のつながりで成り立っている空間。それでいて余所者にも身の置き所はあるところが浪速らしいと余所者は感じる。急速に変わりつつある梅田再開発の大波もまだ暫くここまでは届かないようだ。開いたばかりの時に撮った不思議なセルフィーの下の方に名物の「エッグ」が写っています。激熱の陶器の小鍋に生卵2個と塩を入れただけのものなのだが、混ぜながら刻々変化する様々の容態を楽しめる絶妙のアテなのです。

やまどり

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やまどりは群馬の県鳥でそれに因んで「やまどり」と名づけれれたのがJRの485系特別車輌。大宮・長野原草津口間を走る「リゾートやまどり」は快速なので指定席料金\520の追加だけで乗れる。18きっぷを使うと特急往復\9,760のところ\2,890になる勘定になるのでたいへんお得、である。しかも1列が2人掛け+1人掛けのゆったり配置は特別なグリーン車だけの仕様で「リゾートやまなし」の固定ボックス席とは格段の差がある。この日は予約完売。始発の大宮駅に着くとあろうことか熊谷で人身事故。永い待機に備えてベンチを探しているとカップルの男性の方が席を譲ってくれて、ありがとう。カップルはふたりともテディベアをかかえていてやはり18きっぷで「やまどり」。同じようなことを考える鉄道ファンは少なくないようなのは、うれしいのかさみしいのか複雑(笑)。籠原駅の高崎寄りにある車両基地から回送されてくる車輛が大宮に着くのは難儀で結局2時間以上の遅延。特急券なら2時間遅延で払い戻しだがただの指定券にはその規定がありません。JRも現金なもので後発の特急が1時間遅れくらいで先に行ってしまいます。テディベアのカップルがホームに並んで先に行く列車の車窓にクマの手を振っています。不可思議な情景。こちらは目的地は一応あるものの「やまどり」が主題なので待つ以外の選択肢がないことはJRも承知しているようで情報はろくに伝わってきません。テディベアの彼が足繁く階上に通って情報を伝えてくれるのが救いでした。結局4時間以上あったはずの吾妻線での時間は半分に減ったけれども「やまどり」運休は免れ渋川で無事途中下車してハラミュージアムARCへ。すっかり仲良くなったテディベア2匹が渋川駅ホームの窓の向こうで手を振って送ってくれました。いろんな人がいるんだなあ。同じようなことを考えていても他のことについてはひとさまざま。朝7時45分に同じ線の上で誰かが命を絶っている。2時間半待った人々は誰一人文句も言わず時間を楽しんでいる。寒くなるのとは違う感じの味わい深い「やまどり」の旅でした。鳥のやまどりもかわいい。

Restlessly Yours

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photo courtesy of Facebook

ボブ・ディランの2014年と2016年の録音を担当したアル・シュミットが6月17日のインタビューで2016年の録音は30曲だと語っている。録音したのは新曲ではないという別の情報と今夏のアメリカツアーで初登場したI Could Have Told You、How Deep Is the Oceah、That Old Feelingの3曲が何れもシナトラの持ち歌であることから判断すると、断定はできないものの、30曲もの旧き佳きアメリカの歌が新たに録音されたものと想像される。2014年に録音された23曲のうち22曲はShadows In the Night、Fallen Angelsの2セットのアルバムとして発表されていてiPhoneにこれら22曲をプレイリストAl Schmitt Sessionにまとめて愛聴している。65歳にもなった私に合わせてディランが歌ってくれているような幸せな心持なのだが、聴き馴染むに連れ言い知れぬわだかまりがうずき始めているのに気づいた。自身の音楽のルーツを辿るのはいいけれど、もっとほかのルーツもあるじゃないか。例えばウディ・ガスリー、黒人のブルーズ、ハリー・スミスのアンソロジーに収められている曲あるいはそもそものBasement Tapes。それなのにどうしてこんなにもシナトラなの?。細やかに気持ちを込めて歌われる歯の浮くような歌詞ばっかりじゃイヤだ。2000年以降'Love And Theft'、Modern Times、Together Through Life、Tempestの4作で巷の音楽を縦横無尽に咀嚼して自らの歌を再構成する方法を堂々と展開してきたわけだが、ほんとうにTempestがシェイクスピアのThe Tempestのように自作ラストになるのかなあ、と心配していたら9月8日のRolling Stone情報によればMavis Stapleに一緒に歌うための曲を贈ったということだから杞憂かも。一方、’Portal’と題された金属細工の新作がメリーランドのカジノに設置されるそうだ。何を考えているのだろう。自由な人!。とりあえず凡人はブートレッグ・シリーズBlood On the Tracksを首を長くして待とう。写真はfacebookから拝借した自画像を手にする60年代のディラン。この絵が表紙に使われたSing Out誌をおよそ50年前に父の友人から贈られていて[bigdog house]の膨大な「ライブラリー」に埋もれている可能性もなくはないのだが捜索活動にはまだとりかかれていない(笑)。

甲州種

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シャトーメルシャン勝沼ワイナリーではワインも楽しみました。中庭の葡萄棚にもしっかりと葡萄が実りいい雰囲気です。ワインにまだあまり慣れていない学生たちが気に入ってくれてぐいぐい行ったのはうれしかったな。やっぱり一番人気は日本固有種の甲州。おくゆかしい品種で香りが派手ではないかわりに仕立て方で風味が個性を発揮します。3種を飲み比べて「黄いろ香」が特に受けていました。写真は垣根式の試験ブドウ園の甲州。透けて種が見えますからかなり糖度は上がっていますが、日本生まれの甲州は湿気に弱く棚式の方が生育がいいのだそうです。余談ですが「ケルナー」というドイツ系の葡萄の白が勝沼限定で売られていたのでゲット、暑い日に飲んでみましたがドイツ系特有の甘さが低めでいけました。

研修旅

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インターンシップの学生たちを連れて今年竣工した富士ミネラルウォーター[aqua gallery]と2010年竣工のシャトーメルシャン勝沼ワイナリーへ。作品を体験してもらうことが設計事務所を理解するのに役立つだろうと考えました。[aqua gallery]の展示計画はまだ着手前で一般公開はもう少し先。どちらも山梨県なのですが2地点を結ぶ鉄道の便が悪く、富士吉田に向かうバスは新宿発8時15分。この路線は富士急ハイランドに行く学生たちや富士山に向かう外国人でいつも混みあっているのですがこの日は初老?のグループツアの一群が目立ちました。定年後年金生活になって時間をもてあましているのだと思われる元気な人たちの一行。流れに合わない自分たちの挙動が他の客の迷惑になってしまっていることに気づくのに時間がかかり過ぎ。そう言えば先日の西宮でランチに入った居酒屋で隣り合わせてしまったのも同類項。昼から酒を飲み与太話で超うるさい6人組がお店からラストオーダーを宣告されて焼酎のボトルを追加している醜態に衝撃を受けました。歳は私とそう違わないはずです。こういう現実があるんだなあ。もう同年輩どうしでは飲まない(笑)。仕事がある幸せをしみじみと感じました。旅から学ぶこともいろいろ。


音楽堂

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厚木の住宅街に建つ個人の音楽堂でのコンサートに出かけました。設計は小川真樹さん。近在のソプラノ歌手大島富士子さんと建築の出会いからこのコンサートシリーズが始まったのだそうですが、今年4月に彼女が亡くなってこの第6回が最期。彼女のウィーン国立音大での同胞が演奏するゆかりのブラームスのヴァイオリンソナタ完全全曲。気持ちのこもった音楽にホールの音の良さを忘れてしまうほどでした。1番「雨の歌」と3番のAdagioが好き。アンコールの声楽曲リヒアルト・シュトラウスのMorgen! と「夏の思い出」に胸が熱くなりました。声の響きが特に素晴らしい建築だと感じました。人が建築と作り出すかけがえのない時間を共有させていただいて、私にもいい思い出ができました。ありがとう。facebookにも数枚写真をアップしています。

六甲山

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西宮へ仕事の旅つづき。酒造りに欠かせない水の恵みは灘では六甲山の伏流水。東西に走る六甲山系から海に向かって冷たい澄んだ水の流れがあります。都賀川、石屋川、住吉川、芦屋川、宮川、夙川、津門川。護岸は鉄砲水に備えてよく整備され親水空間もつくられてみんなの格好の憩いの場になっているようです。水辺には鳥も蝶もいて、「餓鬼たち鷺と戯れるの圖」も。そして河口には昔は港。地酒を超えた酒造りが立地する条件が整っていたわけです。

地震国

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西宮へ仕事の旅つづき。1995年の大震災の被害は灘も甚大でした。20年が経ってなんとか立ち直りつつあるというところなのでしょう。白鹿酒造に展示されている写真が惨状を如実に伝えています。小さいころ神戸は御影石でできているから地震は来ないと聞かされていました。美しき佳き我が国には地震があるということを忘れてはいけません。原子力発電所の立地不適合は明白です。よりによって川内と伊方は大活断層際です。

灘五郷

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西宮へ仕事の旅つづき。酒どころとしての「灘」がこんなに広い範囲であることは知りませんでした。西郷、御影郷、魚崎郷、西宮郷、今津郷。JRの駅でいうと灘、六甲道、住吉、摂津本山、甲南山手(1996年開業)、芦屋、さくら夙川(2007年開業)、西宮。26の酒蔵がある程度の距離を置いて点在していてそれらのあいだはマンション、大規模店舗、住宅などで埋めつくされているので、全体としての酒の街のイメージはそれほど強くありませんが、旧い建物が随所に残り楽しい「島」が何か所もできています。左上は今津小学校の六角堂。右上は今津灯台。江戸時代には酒蔵で造られた酒が船積みされ「下り酒」として江戸は新川に運ばれたのだそうです。

ゴジラ

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日曜日にlineで薦められて思い立ち「シン・ゴジラ」鑑賞に出かけてみたら直近の2回は満席で2日後のレイトショーを予約、初めての体験をしてきました。シニア割引も初体験。ほぼ全員がカップルでポップコーンや飲み物を乗せた大きな三角トレイをあいだに置いてデート。時代は変わる、ですね。映画は荒唐無稽に近い荒っぽい筋立てだけれど眠くなることなく一気に楽しみました。日本がいまだに合州国傘下にあり有事、とくに原子力がらみの有事には統治下に置かれる定めにあるという事実を映画に描いたことは評価していいと思うが、電通+フジテレビという体制側の中核部隊の制作したこの映画の主眼はこの不都合な真実や有事には国民は棄てられるということを甘受させるための大衆教育にあるのかもしれない。しかし原子力禍に「キリン」の圖は闇の中に隠蔽されているフクシマの悲劇を思い出させてくれるし、閣僚はこっけいなまでに役立たずに描かれている。けれども自衛隊はそれなりに大活躍。ゴジラの体内で生成された新元素の半減期が20日という都合の良い設定によって首都圏のフクシマ化という想像力に麻酔をかけようとしている。白か黒かではなく白黒まだらの映画なのだ。ゴジラそのものは良くできていて特に第一形態が地上を這っているさまは猫っぽくて好き。ということで写真は猫。しっぽがあるよ。

甲子園

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仕事で西宮今津郷へ。地図をよく見てびっくり。58年前まで住んでいた家から歩10分という距離。小学校1年の時に転居しているので生活圏はそう広くはなく記憶の中には今津という地名はかすかにあるものの灘五郷は抜け落ちていました。灘を東西に走る「酒蔵の道」を横切って幼稚園に通っていたことになります。家は甲子園球場から浜の方に300mほどのところで当時はすぐ先に競輪場がありました。宿泊が近くだったので朝の散歩で昔の痕跡を探しに行きましたが当時の街の面影はまったくありませんでした。甲子園球場も外観が一新されています。阪神パークも阪神路面電車も競輪場もありません。通っていた南甲子園小学校は一学期までは鳴尾小での仮校舎で確か二学期に竣工したばかりの新校舎に移りました。その南甲子園小学校は58年前竣工の校舎を解体中でその北側に新校舎が建っていてほとんど記憶とつながるものがありません。不思議な体験でした。58年は永いということなのでしょうが、百年が短いようなゆっくり変わっていく街は居心地がいいだろうなあ。

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kinoshita
木下道郎 ・ 建築家
詳しくはworkshop-kino.com

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