日経書評に載っていた「地図の歴史」が届きました。現題はCartographia: Mapping Civilizations。地図製作を意味するcartographyからの派生で「地図製作術」といったところでしょうか。古今東西、興味の尽きないさまざまな地図の実例も掲載されていて、とりあえずは眺めているだけでも楽しい。実は小さいころから地図が好きで、小学生のころには架空の街を地図に描くことが、楽しみのひとつだったりしました。建築の図面は広い意味では地図なのかもしれませんね。
写真は最近家の中で元気のいい、名前もわからない植物。

ゴーヤがどんどん大きくなっています。出てきたばかりの葉はいきいきとしていて美しい。もともと夏の陽はほとんど室内まで届かないとはいえ、ゴーヤの前あたりが犬猫たちのお気に入りの場所になることでしょう。都城に毎週通っていたころ、宮崎でよく食べたゴーヤ焼き、おいしかったなあ。フランスでは食べられないだろうな。

ディランともだちが2009年4月8日パリの公演録音を届けてくれました。この手のものも最近はネット上に溢れているとは言え実際に体験した公演の録音がCD2枚にきちんとおさまっているとなるとまた格別です。しかも客席で録ったとは思えない音質。独り繰り返し聴いてあの感動を反芻しています。この日はシャルル・アズナブールの
The Times We’ve Known (Les Bons Moments)というサプライズが一つのハイライトだったわけですが、当のアズナブール本人が会場にいたのだそうです。Dylanがこの歌を公演で歌うのは10年以上前のニューヨーク以来で2回目。まことに稀有な体験をしたことになります。前日にはディラン・ファンのサルコジもカーラ・ブルーニと共に聴きに来ていたそうです。7月1日からは合州国公演が始まりTogether Through Lifeからの曲が少しずつ初登場しています。
Forgetful HeartではCDでの客演のアコーディオンに代わってBobが感動的なハープを聞かせています。今年の秋に来日する可能性もなくはないとのこと、しっかり準備しておかなくっちゃ。

写真は
[baoli]の中庭。ここでは手摺に苦労しました。階段部分では存在感を消去するために限りなくシンプルに。手前のブリッジでは常ならぬ形態を与えて手摺らしくなく見えるように。手摺の機能は残しながら手摺という「記号」を排除しようというのですから、苦労してあたりまえですね。気にいっています。
京都で仕入れてきた水ナスの糠漬けに珍しく梅酒を合わせてみました。おいしい梅酒でもやはり甘い。スターターとしてなかなかの組み合わせでした。箸置きはカンボジアで入手した兎。箸は信じられないくらい安価なおそらく中国の竹製。アジア・モンスーンの彩りです。そう考えるとこの湿っぽさも、いいな。

今朝はうめあめ。犬の散歩には苦労させられます。アッラペルトの植物はしっとり。カランコエの緑もいきいきしています。ユキノシタ目 Saxifragalesベンケイソウ科 Crassulaceae カランコエ属 Kalanchoe。

私の思いが伝わったのか、みなさんのおかげで「おとうさん」が7頭も集まりました。ありがとう。

小屋裏に入ることができたのも収穫。
これが格天井の見上げ。

そしてこれがその真上の空間。たくさんの人が乗って歩いても平気。普段は目にすることのない大きさの梁が飛び交っています。

小屋裏に無限に続く木の構造体に圧倒されました。屋根の概念をはるかに超えています。平屋の空間の上にある見ることのできない、ヴォイドでしかない、巨大な空間。格天井までが下から8mで、その上は28mもあります。1604年の建立ですが1788、1823、58、64年の4回焼失していて、今回修復されている建物は1895年に再建されたもの。たかだか110年余の物理的歴史です。100年毎の修復、300年に一度は建て替える必要があるのだそうです。石造とは違って儚い。日本独特の建築文化なのでしょうね。最後の再建に際して琵琶湖の水を利用して蹴上から4.5kmの水道を敷設しているのにはおどろき。水源との50mの高低差を利用した消化設備です。

しかし、これはないだろう。東本願寺阿弥陀堂と山田守の京都タワーと原広司の京都駅。シュールというほかはありません。こういうコンテクストに紛れて京都駅ができてしまったと考えると、これがわれわれの文化と言えなくもないかもしれません。いや、違う。
